2012年11月8日木曜日

定住と遊動~コンコルドの誤謬


下記の文章は、昨年度学生と一緒に行った社会心理学調査実習の報告書東日本大震災をめぐるリスク意識と支援ネットワークのまえがきとして書かれたものです。311直後は広域分散避難こそが正しい選択肢であったし、日本人にはそれができたはずだと今でも考えています。


人類を含む高等霊長類は、不快なものには近寄らず、危険があれば逃げるという基本戦術に従いながら、数千万年に及ぶ時をノマド(遊動生活者)として生きてきた。西田正規の『人類史の中の定住革命』(講談社学術文庫2007)によれば、25万年前に誕生したヒト(ホモ・サピエンス)も、そのほとんどを遊動する狩猟採集民として過ごし、農耕を中心とした定住生活へと移行したのは、今からわずか1万年前のことにすぎない。そして、この定住生活によって、食料供給が安定化し、様々な技術や文化が生まれ、たった500世代の間に、今日のような巨大で複雑な人間社会がつくり上げられたという。では、なぜ人類は、遊動生活を止め、定住生活を選択したのだろうか?人類が定住生活を始めたとき、いったい何が変わったのだろうか?<故郷>や<わが家>に対する人間の強いこだわりは、いったいどこから来るのだろうか?
東日本大震災後に、私が真っ先に手にしたのは、災害社会学や脱原発の本ではなく、この定住革命に関する本であった。被災地の人々はなぜ逃げないのか?避難生活はなぜストレスになるのか?―その答えを知りたかったからである。津波で何もかも流されたムラでも、高濃度の放射性物質で汚染された土地でも、なんとか人々はそこに留まり、田畑を耕し、住み続けようとする。震災の脅威を外側から眺めるならば、被災地からなかなか離れようとしないのは、愚かな選択として映るかもしれない。自分の生命や子どもの健康というものを秤の一方に載せれば、他方に載せるものは、土地も財産も名誉も想い出も一切合財吹き飛んでしまうのが、生物としてのヒトの選択基準のはずだからである。
しかし他方、その土地にとどまり、支えあいながら生きていこうとするのも、社会的存在としての人間の姿である。こうしたメンタリティは、しばしば郷土愛や隣人愛、あるいは絆という名で呼ばれ、長年の生活経験の蓄積によって<自然に>培養される徳目として考えられている。しかし不思議なことに、そうしたメンタリティが如実に発揮されるのは、平常時ではなく、大災害や戦争などの非常時である(R.ソルニット2010『災害ユートピア』亜紀書房)。そして、災害がパニックを引き起こすという通説とは裏腹に、東北でも神戸でも、ロサンゼルスでも、ニューオリンズやメキシコシティーでも、多くの人々はその場に留まり、仲間や見知らぬ者同士で助け合おうとした。ソルニットによれば、災害で疑心暗鬼になりパニックに陥りがちなのは、むしろ政治家や官僚、マスコミのほうである。では、危険に対する直感的な逃走本能までも押しのけて、協力し定住し続けようとする人間の意志は、いつ生まれたのだろうか?
人類の定住生活に関する西田の説明が興味深いのは、農耕が定住生活をもたらしたとする定説を覆し、中緯度帯における食料資源の季節変動に対する適応戦略の変化を定住の起源としている点である。すなわち、冬季にも移動しながら狩りをし続けるオオカミ型戦略から、サケやマスなどの遡可性大型魚類を食料資源とすることで、冬季は活動水準を下げ、秋季の貯蔵食料で暮らすクマ型戦略へ転換したことで定住生活が開始されたという。自然の恵みをもたらす季節への信頼が、定置漁具や貯蔵技術、住環境への投資を呼び起こし、定住生活を促進し、さらに農耕を可能にしていったということになる。そしてより重要なのは、この定住革命において、社会・経済システムや技術体系だけでなく、人類の肉体的・心理的能力も大きく再編されたはずであると主張している点である。
この西田説を知ってすぐに思い浮かんだのは、「コンコルドの誤謬」と呼ばれる認知バイアスであった。イギリスとフランスの共同開発による超音速旅客機コンコルドは、開発途中から商業的失敗が明らかになっていたにもかかわらず、それまでの膨大な開発投資を無駄にしたくないために、事業化が継続され、最終的に膨大な赤字を計上してしまった。このエピソードにみられるように、将来の見通しと現在のオプションだけにもとづいて意志決定をすべきところで、人間は、しばしば過去の投資の大きさを考慮してしまう(長谷川眞理子 1999『科学の目 科学のこころ』岩波新書)。このような「損切り」できない心理的傾向は、経済や金融市場における投資の失敗だけでなく、失恋後のストーカーやギャンブル中毒、退却戦の失敗や進路変更の遅れなど、社会生活の様々な局面で見いだされる。
しかし、こうした認知バイアスが人間に備わっているのは、たとえそれが経済市場や自由恋愛では誤謬であっても、別の局面では適応的な意味合いを有していたからであると考えられる。すなわち、人間の投資の大きさに時間をかけて応えてくれるような自然環境があれば、意志決定において過去の投資量を過大に見積もることは、むしろ適応的な戦略になるはずである。その時はじめて、一所懸命や初志貫徹、根性、頑張りといった保守的な性格それ自体が、価値づけられるようになる。中緯度帯の季節変動に着目する西田説は、定住革命において、過去の投資量を意志決定に組み込むという誤謬が適応戦略へと変化した可能性を示唆している。逆に、人類が遊動生活を続けているならば、過去の投資へのこだわりはほとんど持たないままだったに違いない。したがって、コンコルドの誤謬は、たんなる誤謬ではなく、人類と土地を有機的に結びつけ、遊動から定住へとラチェットのように組み込んでいく心的装置―約1万年前の心の遺構―ではないかと考えられる。さらにいえば、方言や郷土料理もまた、そうした地域コミュニティへの係留を加速させる装置として考えられる。
津波で流された東北のムラの多くが漁業を生業としており、幾度となく被災と復興を繰り返してきたことを想い起こすならば、こうした推測もそれほど的外れではないだろう。しかも三陸地方には、津波の時に限ってそうした心的装置を外せという伝承―津波てんでんこ―まで用意されている。この伝承は、人間のリスク意識に潜む脆弱性を的確に見抜いている。この伝承に従うことで、人々は、過去の投資へのこだわりをいったん放棄して、将来の見通しと現在のオプションだけを考慮して避難行動を決定できる。また身近な人々も、自分と同様にそうしていると割り切ることができる。しかし、あの日、そうした決断をできた人は、日本中にいったいどれだけいただろうか?
東日本大震災とそれに引き続いて起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故をめぐって、コンコルドの誤謬は、様々な局面で、非常に大きな影響を与えてきたと考えられる。政府や東京電力は、避難区域の設定や廃炉の決定において、過去の投資を無視できただろうか?原発事業そのものが、巨大なコンコルド事業であった可能性も少なくない。自治体や公的機関も、これまでの組織体制や事業の継続にこだわるあまり、別のオプションを見過ごしていなかっただろうか?被災地の人々もまた、過去へのこだわりを捨て、将来のリスクや現在のオプションだけを冷徹に計算できただろうか?もちろん、多くの人間にとってそうした計算は困難を極めるものであり、生命や健康以上の価値を<故郷>や<わが家>など過去の記憶に与えてしまう。そして、「故郷を離れては生きていけない」という想いに囚われてしまう。それを「誤謬」として簡単に切り捨ててよいとも思わないし、実際に切り捨てられるとも思わない。しかしながら、コンコルドの教訓から次の2点は学んでおく必要があると考える。
1に、過去の投資にこだわることで、しばしば人間は、将来への見通しが甘くなり、現在のオプションにも気づきにくくなってしまう。その結果、埋没費用を救済するために、さらに時間と労力を追加投資し、雪だるま式に損害を大きくする悪循環に陥る。この場合、時間の流れは、いつの日にか回復をもたらしてくれる味方ではなく、じわじわと疲弊を蓄積させる罠に変わる。こうした悪循環による疲弊を避けるためには、いずれかの時点で覚悟を決めて「損切り」を行う必要がある。しかも、避難先を変えたり、地元に戻ったりする場合には、何度も「損切り」を繰り返さなければならない。多くの場合、心理的特性は遊動から定住へと一方向的にしか働かないため、こうした決断は困難である。本来、こうした決断と説得が仕事であるはずの政治家がただ幻想を振り撒き、それぞれの家族や個人が限られた情報とオプションのなかで決断せざるをえなくなっている。
 第2に、遊動と定住にかかわる志向性は、年代や性別によって大きく異なるだけでなく、個人差も大きいという点にも留意する必要がある。おそらく進化上の背景も神経科学的な回路も異なるために、個々人の内部でも判断が衝突するはずである。このように2つの志向性を進化プロセスの別々の遺構として捉えることは、そのいずれもが人類の継承において大きな役割を果たしてきたことを再認識するうえで有効である。被災地では、地元に残るか避難するのか、避難先に留まるのか地元に戻るのかをめぐって、すでに1年近くも混乱や葛藤が続いている。この決断をめぐって、コミュニティの中だけでなく、家族や夫婦の中でも友人関係の中でも感情的な亀裂が生じているケースや思考停止に陥っているケースが少なくない。
しかし、遊動と定住のリスクのどちらを大きく捉えるのかは、エビデンスのない半ば直感的判断であり、他者からの説得はなかなか効かない。中学卒業時や高校卒業時のことを考えてみても、地元志向か上京志向かは個人単位でほぼ決まっており、成績や友人関係とはあまり関係がなかったはずである。したがって、原発や地震のリスクをめぐって<危険厨>と<安全厨>が存在しているのではなく、実は大きく志向性の異なる2つの<危険厨>が存在しているのである。そして、それぞれが、認知的不協和を解消しようとして特定情報の過剰利用を試みているのである。しかしながら、2つの志向性はともに社会生活を構成するうえで不可欠な要素であり、巨視的に眺めるならば、どちらか一方だけが完全に正しいわけではない。相手のリスク意識を馬鹿げていると考え、感情的な対立に走るのではなく、むしろそれぞれの特性をうまく組み合わせて活用することが、コミュニティとしての重要な課題となるだろう。生命とコミュニティをめぐるリスク意識の個人差や多様性を、人類史のなかで形作られた進化の賜物として捉えるならば、感情的な対立も少しは和らげることができるのではないだろうか?

 この調査報告書では、東日本大震災にかかわる2つのテーマを取り上げている。一つは地震と原発事故をめぐる大学生のリスク意識と行動に関する計量的研究である。もう一つは、西日本地域(中国、四国、九州地方)における支援ネットワークの具体例に関するレポートである。それぞれのテーマは、将来の見通しと現在のオプションにかかわるものであり、将来の意思決定に関して本来噛み合ってしかるべきテーマである。しかしながら、私個人の力量不足もあり、この報告書ではそこまで議論が至っていない。2つのテーマから、東日本大震災以後の日本社会のあり方、地域社会のあり方、自分の選択のあり方を振り返る材料にしていただければ幸いである。
 前者のリスク意識に関しては、全国(宮城県、東京都、千葉県、大阪府、山口県、長崎県)の8大学897名を対象にした調査票調査を行っている。貴重な授業時間を割いてご協力いただいた学生たちならびに先生方に、まず心から感謝したい。この調査研究は、ロビン・グッドウィン教授(ロンドン、ブルネル大学)と共同企画したものである。のちに、スタンリー・ゲインズJr上級講師(ロンドン、ブルネル大学)と孫少晶(上海、復旦大学副教授)にも分析に加わっていただいている。もともとグッドウィン教授は、サバティカルを利用して、東京大学の客員教授として来日しており、日本人のマスク着用と対人不安について、私と一緒に調査研究を行う予定であった。東大の柏キャンパスで被災した彼は、パニック研究者らしく、柏に留まり日本人の行動を観察することを望んでいたが、イギリス大使館と奥様の強い反対にあい、やむなく山口に移動してきた。その時の議論が、この調査票調査の土台になっている。グッドウィン教授は、社会心理学者として東日本大震災にかかわることを強く希望し、震災後のできるだけ早い時点で日本人のリスク意識の概況をスケッチしたいと主張していた。こうしたリスク研究の記録が、いつかどこかで、誰かの決断のために役立つことがあれば、共同研究者としては幸いである。
 後者の支援ネットワークの研究に関しては、被災者にとって震災時にどのようなオプションがあったのか、支援者にとってはどのようなオプションを提供できたのかを見つめ直すために企画した。少なくとも、日本中から様々な形で被災者へ支援の手が差し伸べられていたという事実を記録に留めたいと考えた。西日本地域の支援ネットワークなどに関しては、北九州市立大学の稲月正教授や松山大学の水上英徳教授、山田富秋教授から情報提供いただいた。また、お忙しい時間の合間を縫って学生のインタビューに答えてくれた避難者の方々、支援者の方々、行政機関の方々にも厚くお礼を申し上げたい。
 山口大学人文学部の社会心理学調査実習を履修した学生たちは、3年後期だけの短い間にもかかわらず、精力的にデータ分析やインタビュー調査に取り組んでくれた。東日本大震災をめぐる複雑な情報や強い想いに接し、悩んだり、戸惑ったりしたこともあったかもしれない。しかしながら、そうした体験のすべてが、いずれ学生たち自身の心の免疫力となり、新しい時代を支える力に変わっていくことを信じたい。


2012311日    まだ遠い春を待ちわびながら

山口大学人文学部 社会学コース   高橋征仁

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