2012年11月17日土曜日

被災者支援制度

関西学院大学災害復興研究所の山中茂樹先生に呼ばれて、沖縄の被災者支援に関する話をしてきました。
社会学者は、あまり制度について細かく検討することがないので、大変勉強になりました。
反対に、弁護士さんや行政マンからすると、社会的ネットワークの機能やヒューリスティック(潜在的な心理メカニズム)は珍しいらしく、いろいろ質問を受けました。
(ただし事情があり、資料は一部変更・カットしております)

研究会前に衆議院解散ということになり、子ども被災者支援法案の肉付けは、いったん棚上げに・・・・なんという国だ。メルトダウンの情報もSPEEDIの情報も隠した上に、土壌汚染や健康被害の検査もロクにしないまま、徒に水をまき、ただ安全を唱えている。
旧ソ連のほうが、現実を見据えて、はるかに人間的な対応をした。
312以降、何度、落胆しただろうか。


2012年11月8日木曜日

定住と遊動~コンコルドの誤謬


下記の文章は、昨年度学生と一緒に行った社会心理学調査実習の報告書東日本大震災をめぐるリスク意識と支援ネットワークのまえがきとして書かれたものです。311直後は広域分散避難こそが正しい選択肢であったし、日本人にはそれができたはずだと今でも考えています。


人類を含む高等霊長類は、不快なものには近寄らず、危険があれば逃げるという基本戦術に従いながら、数千万年に及ぶ時をノマド(遊動生活者)として生きてきた。西田正規の『人類史の中の定住革命』(講談社学術文庫2007)によれば、25万年前に誕生したヒト(ホモ・サピエンス)も、そのほとんどを遊動する狩猟採集民として過ごし、農耕を中心とした定住生活へと移行したのは、今からわずか1万年前のことにすぎない。そして、この定住生活によって、食料供給が安定化し、様々な技術や文化が生まれ、たった500世代の間に、今日のような巨大で複雑な人間社会がつくり上げられたという。では、なぜ人類は、遊動生活を止め、定住生活を選択したのだろうか?人類が定住生活を始めたとき、いったい何が変わったのだろうか?<故郷>や<わが家>に対する人間の強いこだわりは、いったいどこから来るのだろうか?
東日本大震災後に、私が真っ先に手にしたのは、災害社会学や脱原発の本ではなく、この定住革命に関する本であった。被災地の人々はなぜ逃げないのか?避難生活はなぜストレスになるのか?―その答えを知りたかったからである。津波で何もかも流されたムラでも、高濃度の放射性物質で汚染された土地でも、なんとか人々はそこに留まり、田畑を耕し、住み続けようとする。震災の脅威を外側から眺めるならば、被災地からなかなか離れようとしないのは、愚かな選択として映るかもしれない。自分の生命や子どもの健康というものを秤の一方に載せれば、他方に載せるものは、土地も財産も名誉も想い出も一切合財吹き飛んでしまうのが、生物としてのヒトの選択基準のはずだからである。
しかし他方、その土地にとどまり、支えあいながら生きていこうとするのも、社会的存在としての人間の姿である。こうしたメンタリティは、しばしば郷土愛や隣人愛、あるいは絆という名で呼ばれ、長年の生活経験の蓄積によって<自然に>培養される徳目として考えられている。しかし不思議なことに、そうしたメンタリティが如実に発揮されるのは、平常時ではなく、大災害や戦争などの非常時である(R.ソルニット2010『災害ユートピア』亜紀書房)。そして、災害がパニックを引き起こすという通説とは裏腹に、東北でも神戸でも、ロサンゼルスでも、ニューオリンズやメキシコシティーでも、多くの人々はその場に留まり、仲間や見知らぬ者同士で助け合おうとした。ソルニットによれば、災害で疑心暗鬼になりパニックに陥りがちなのは、むしろ政治家や官僚、マスコミのほうである。では、危険に対する直感的な逃走本能までも押しのけて、協力し定住し続けようとする人間の意志は、いつ生まれたのだろうか?
人類の定住生活に関する西田の説明が興味深いのは、農耕が定住生活をもたらしたとする定説を覆し、中緯度帯における食料資源の季節変動に対する適応戦略の変化を定住の起源としている点である。すなわち、冬季にも移動しながら狩りをし続けるオオカミ型戦略から、サケやマスなどの遡可性大型魚類を食料資源とすることで、冬季は活動水準を下げ、秋季の貯蔵食料で暮らすクマ型戦略へ転換したことで定住生活が開始されたという。自然の恵みをもたらす季節への信頼が、定置漁具や貯蔵技術、住環境への投資を呼び起こし、定住生活を促進し、さらに農耕を可能にしていったということになる。そしてより重要なのは、この定住革命において、社会・経済システムや技術体系だけでなく、人類の肉体的・心理的能力も大きく再編されたはずであると主張している点である。
この西田説を知ってすぐに思い浮かんだのは、「コンコルドの誤謬」と呼ばれる認知バイアスであった。イギリスとフランスの共同開発による超音速旅客機コンコルドは、開発途中から商業的失敗が明らかになっていたにもかかわらず、それまでの膨大な開発投資を無駄にしたくないために、事業化が継続され、最終的に膨大な赤字を計上してしまった。このエピソードにみられるように、将来の見通しと現在のオプションだけにもとづいて意志決定をすべきところで、人間は、しばしば過去の投資の大きさを考慮してしまう(長谷川眞理子 1999『科学の目 科学のこころ』岩波新書)。このような「損切り」できない心理的傾向は、経済や金融市場における投資の失敗だけでなく、失恋後のストーカーやギャンブル中毒、退却戦の失敗や進路変更の遅れなど、社会生活の様々な局面で見いだされる。
しかし、こうした認知バイアスが人間に備わっているのは、たとえそれが経済市場や自由恋愛では誤謬であっても、別の局面では適応的な意味合いを有していたからであると考えられる。すなわち、人間の投資の大きさに時間をかけて応えてくれるような自然環境があれば、意志決定において過去の投資量を過大に見積もることは、むしろ適応的な戦略になるはずである。その時はじめて、一所懸命や初志貫徹、根性、頑張りといった保守的な性格それ自体が、価値づけられるようになる。中緯度帯の季節変動に着目する西田説は、定住革命において、過去の投資量を意志決定に組み込むという誤謬が適応戦略へと変化した可能性を示唆している。逆に、人類が遊動生活を続けているならば、過去の投資へのこだわりはほとんど持たないままだったに違いない。したがって、コンコルドの誤謬は、たんなる誤謬ではなく、人類と土地を有機的に結びつけ、遊動から定住へとラチェットのように組み込んでいく心的装置―約1万年前の心の遺構―ではないかと考えられる。さらにいえば、方言や郷土料理もまた、そうした地域コミュニティへの係留を加速させる装置として考えられる。
津波で流された東北のムラの多くが漁業を生業としており、幾度となく被災と復興を繰り返してきたことを想い起こすならば、こうした推測もそれほど的外れではないだろう。しかも三陸地方には、津波の時に限ってそうした心的装置を外せという伝承―津波てんでんこ―まで用意されている。この伝承は、人間のリスク意識に潜む脆弱性を的確に見抜いている。この伝承に従うことで、人々は、過去の投資へのこだわりをいったん放棄して、将来の見通しと現在のオプションだけを考慮して避難行動を決定できる。また身近な人々も、自分と同様にそうしていると割り切ることができる。しかし、あの日、そうした決断をできた人は、日本中にいったいどれだけいただろうか?
東日本大震災とそれに引き続いて起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故をめぐって、コンコルドの誤謬は、様々な局面で、非常に大きな影響を与えてきたと考えられる。政府や東京電力は、避難区域の設定や廃炉の決定において、過去の投資を無視できただろうか?原発事業そのものが、巨大なコンコルド事業であった可能性も少なくない。自治体や公的機関も、これまでの組織体制や事業の継続にこだわるあまり、別のオプションを見過ごしていなかっただろうか?被災地の人々もまた、過去へのこだわりを捨て、将来のリスクや現在のオプションだけを冷徹に計算できただろうか?もちろん、多くの人間にとってそうした計算は困難を極めるものであり、生命や健康以上の価値を<故郷>や<わが家>など過去の記憶に与えてしまう。そして、「故郷を離れては生きていけない」という想いに囚われてしまう。それを「誤謬」として簡単に切り捨ててよいとも思わないし、実際に切り捨てられるとも思わない。しかしながら、コンコルドの教訓から次の2点は学んでおく必要があると考える。
1に、過去の投資にこだわることで、しばしば人間は、将来への見通しが甘くなり、現在のオプションにも気づきにくくなってしまう。その結果、埋没費用を救済するために、さらに時間と労力を追加投資し、雪だるま式に損害を大きくする悪循環に陥る。この場合、時間の流れは、いつの日にか回復をもたらしてくれる味方ではなく、じわじわと疲弊を蓄積させる罠に変わる。こうした悪循環による疲弊を避けるためには、いずれかの時点で覚悟を決めて「損切り」を行う必要がある。しかも、避難先を変えたり、地元に戻ったりする場合には、何度も「損切り」を繰り返さなければならない。多くの場合、心理的特性は遊動から定住へと一方向的にしか働かないため、こうした決断は困難である。本来、こうした決断と説得が仕事であるはずの政治家がただ幻想を振り撒き、それぞれの家族や個人が限られた情報とオプションのなかで決断せざるをえなくなっている。
 第2に、遊動と定住にかかわる志向性は、年代や性別によって大きく異なるだけでなく、個人差も大きいという点にも留意する必要がある。おそらく進化上の背景も神経科学的な回路も異なるために、個々人の内部でも判断が衝突するはずである。このように2つの志向性を進化プロセスの別々の遺構として捉えることは、そのいずれもが人類の継承において大きな役割を果たしてきたことを再認識するうえで有効である。被災地では、地元に残るか避難するのか、避難先に留まるのか地元に戻るのかをめぐって、すでに1年近くも混乱や葛藤が続いている。この決断をめぐって、コミュニティの中だけでなく、家族や夫婦の中でも友人関係の中でも感情的な亀裂が生じているケースや思考停止に陥っているケースが少なくない。
しかし、遊動と定住のリスクのどちらを大きく捉えるのかは、エビデンスのない半ば直感的判断であり、他者からの説得はなかなか効かない。中学卒業時や高校卒業時のことを考えてみても、地元志向か上京志向かは個人単位でほぼ決まっており、成績や友人関係とはあまり関係がなかったはずである。したがって、原発や地震のリスクをめぐって<危険厨>と<安全厨>が存在しているのではなく、実は大きく志向性の異なる2つの<危険厨>が存在しているのである。そして、それぞれが、認知的不協和を解消しようとして特定情報の過剰利用を試みているのである。しかしながら、2つの志向性はともに社会生活を構成するうえで不可欠な要素であり、巨視的に眺めるならば、どちらか一方だけが完全に正しいわけではない。相手のリスク意識を馬鹿げていると考え、感情的な対立に走るのではなく、むしろそれぞれの特性をうまく組み合わせて活用することが、コミュニティとしての重要な課題となるだろう。生命とコミュニティをめぐるリスク意識の個人差や多様性を、人類史のなかで形作られた進化の賜物として捉えるならば、感情的な対立も少しは和らげることができるのではないだろうか?

 この調査報告書では、東日本大震災にかかわる2つのテーマを取り上げている。一つは地震と原発事故をめぐる大学生のリスク意識と行動に関する計量的研究である。もう一つは、西日本地域(中国、四国、九州地方)における支援ネットワークの具体例に関するレポートである。それぞれのテーマは、将来の見通しと現在のオプションにかかわるものであり、将来の意思決定に関して本来噛み合ってしかるべきテーマである。しかしながら、私個人の力量不足もあり、この報告書ではそこまで議論が至っていない。2つのテーマから、東日本大震災以後の日本社会のあり方、地域社会のあり方、自分の選択のあり方を振り返る材料にしていただければ幸いである。
 前者のリスク意識に関しては、全国(宮城県、東京都、千葉県、大阪府、山口県、長崎県)の8大学897名を対象にした調査票調査を行っている。貴重な授業時間を割いてご協力いただいた学生たちならびに先生方に、まず心から感謝したい。この調査研究は、ロビン・グッドウィン教授(ロンドン、ブルネル大学)と共同企画したものである。のちに、スタンリー・ゲインズJr上級講師(ロンドン、ブルネル大学)と孫少晶(上海、復旦大学副教授)にも分析に加わっていただいている。もともとグッドウィン教授は、サバティカルを利用して、東京大学の客員教授として来日しており、日本人のマスク着用と対人不安について、私と一緒に調査研究を行う予定であった。東大の柏キャンパスで被災した彼は、パニック研究者らしく、柏に留まり日本人の行動を観察することを望んでいたが、イギリス大使館と奥様の強い反対にあい、やむなく山口に移動してきた。その時の議論が、この調査票調査の土台になっている。グッドウィン教授は、社会心理学者として東日本大震災にかかわることを強く希望し、震災後のできるだけ早い時点で日本人のリスク意識の概況をスケッチしたいと主張していた。こうしたリスク研究の記録が、いつかどこかで、誰かの決断のために役立つことがあれば、共同研究者としては幸いである。
 後者の支援ネットワークの研究に関しては、被災者にとって震災時にどのようなオプションがあったのか、支援者にとってはどのようなオプションを提供できたのかを見つめ直すために企画した。少なくとも、日本中から様々な形で被災者へ支援の手が差し伸べられていたという事実を記録に留めたいと考えた。西日本地域の支援ネットワークなどに関しては、北九州市立大学の稲月正教授や松山大学の水上英徳教授、山田富秋教授から情報提供いただいた。また、お忙しい時間の合間を縫って学生のインタビューに答えてくれた避難者の方々、支援者の方々、行政機関の方々にも厚くお礼を申し上げたい。
 山口大学人文学部の社会心理学調査実習を履修した学生たちは、3年後期だけの短い間にもかかわらず、精力的にデータ分析やインタビュー調査に取り組んでくれた。東日本大震災をめぐる複雑な情報や強い想いに接し、悩んだり、戸惑ったりしたこともあったかもしれない。しかしながら、そうした体験のすべてが、いずれ学生たち自身の心の免疫力となり、新しい時代を支える力に変わっていくことを信じたい。


2012311日    まだ遠い春を待ちわびながら

山口大学人文学部 社会学コース   高橋征仁

2012年11月7日水曜日

「理由なき反抗」の理由


以下では、私が青年期研究を始めたきっかけと、40歳過ぎて進化論に転向した経緯を書いてます。山口大学人文学部HPに書いたものの再録です。

「理由なき反抗」の理由
                                        2011-11-24 (Thu) 17:05
なぜ若者は、些細なことで他人と大喧嘩をしたり、逆にどうしようもないことに劣等感を抱いたりするのだろうか?なぜ若者は、能力以上に自分を過信したり、ありもしない未来を夢想したりするのだろうか?なぜ若者は、古いものにはあまり興味を示さず新しいモノや流行に敏感であろうとするのか?なぜ若者は、仲間とは意気投合しても、大人の忠告は素直に受け入れないのだろうか? そして、なぜ大人たちは、そうした若者の一挙一動にいちいち目くじらを立てるのか?

 私は、高校生の頃からずっとこんなことを考えてきた。自分自身の感情をうまくコントロールすることができなかったせいかも知れない。自分自身を分析対象にすることで、自分の中の怒りや苦しみを何とか飼い慣らそうとしてきた。そして、その答えを求めて、社会学と心理学を行き来しているうちに、いつの間にか、それが日々の仕事になってしまった。

 社会学者たちは、若者が時代とともに変わる存在であることを指摘してきた。とくに近代化以降、青年期が延長され、高等教育が拡大・大衆化し、若者が消費や流行の担い手になったことを強調してきた。他方、心理学者たちは、子どもと大人のギャップの中で、若者たちのアイデンティティや道徳性が揺れ、しばらくすると安定するという発達的変化を指摘してきた。そして、私は、社会心理学者として、この時代的変化と発達的変化についての知見を学び、学生たちに教えてきた。

 しかし私は、これらの説明にあまり満足していなかった。そうした説明が、どこか表面的で、後付けであるということを薄々は感じていた。というのも、私が問い続けてきたのは、若者の時代的変化や発達的変化ではなく、そうした若者の変化しやすさ自体が、なぜ普遍的にみられるのかということだったからである。日本でもアメリカでも、あるいはアフリカでも、若者の基本的特性にはそれほど大きな違いはない。

 1992年にレダ・コスミデスらが唱えた「進化心理学」は、そうした私の不満に応えるものであった。彼女らは、ヒトの脳が、自然選択を通じて人類の進化のプロセス(とりわけ狩猟採集時代の選択圧)で形作られてきたと主張した。ヒトの脳には、過去の生活環境下での問題を解決するために選択された心のプログラムが、多数残されているというのである。この新しい学問は、旧来の「心理学」という枠組みを超えて、fMRIなどのニューロイメージング技術やゲノム解読、コンピュータ・シュミレーション、霊長類学などと結びつきながら、急速に成長を遂げてきた。そして現在では、「進化心理学」という名称が、アカデミズムの既得権益を打ち壊して、多くの学部や学科、研究所などで用いられるまでになっている。ヒトの心が系統発生的な基礎を持つということも、それぞれの心のプログラムが別々でうまく統一されていないということ(モジュール説)も、そして他者も同様のプログラムをもつことを類推する能力があるということ(心の理論)も、伝統的な社会学や心理学の教育を受けてきた私にとっては、衝撃的な内容の連続であった。

 この進化心理学の観点からすれば、若者の規範意識の揺らぎも、その背後に何らかの適応的機能を持っていたことになる。これまで規範意識の研究が、暗黙の裡に、規範への同調を「社会的適応」として捉えてきたのとは真逆である。これまでは、規範への同調を前提に考えてきたからこそ、若者の規範意識の変化が、10代半ばから20代初めにかけて「低下する」と理解されてきた。しかし、規範への同調が適応ならば、ヒトはもっと従順な存在として生まれるはずのではないのか?なぜ、ヒトには<反抗期>が2度も存在するのか?むしろ、進化心理学的観点から、この揺らぎを適応的なものとして理解することで、若者の心や行動について全く異なった解釈が可能になるかもしれない。

 そこで、通常示される規範意識のグラフを上下反転させて、年齢とともに規範からの逸脱が許容される現象を示したのが、図1と図2である。これらの図では、10代後半をピークに、規範意識が「低下」し、その後「回復」するプロセスが示されている。これらの図を見ると、規範意識の変化が必ずしも一様ではないこと、そうした中で「性的行為」に関する許容が最も急激に変化していることがわかる。それだけでなく、17歳をピークとしたこの曲線は、犯罪学で有名な年齢―犯罪曲線(ユニバーサル・カーブ)と見事に一致するのである。性こそが、規範意識の再編や多様性、創造性のスィッチであると考えられる。



 進化心理学的観点からすれば、思春期のこうした現象は、ヒト固有のものではなく、繁殖を迎えた多くの哺乳動物に共通する行動傾向にほかならない。すなわち、若者の揺らぎやリスク行動の背後にある究極要因は、配偶獲得のために、攻撃性や縄張り意識が高まっていく性選択のメカニズムにあると考えられる。ジェームズ・ディーンの代表作『理由なき反抗』で行われるカーチェイスやナイフでの決闘シーンは、進化論的にみれば、明白な理由にもとづいていたということになる。

 もっとも、人間の場合、こうした性選択がもたらすのは、ケンカや無謀な挑戦ばかりではない。『女が男を厳しく選ぶ理由』によると、『ライ麦畑でつかまえて』も『レット・イット・ビー』も、『MS-DOS』も、こうした思春期特有の揺らぎによって引き出された稀有な才能であるという。この主張が正しいかどうかはともかく、若者の挑戦的・反抗的なあり方が、地球上の隅々にまで生活圏を拡大し、文化を更新し続ける人間という種の特性と関連していることは、どうやら間違いなさそうである。

2012年11月6日火曜日

はじめまして

 山口大学人文学部で社会学と社会心理学を教えています。
 専門分野は教育社会学と社会心理学で、主に青少年の道徳性について研究しています。
 もともとは、青年期の自我や道徳性の揺らぎに関心があり、E.エリクソンやL.コールバーグをもとに研究をしていました。
青年期の道徳性や性的発達についても、社会学的方法で調査研究をしてきました。
 しかし、これらの研究を通じて、青年期の具体的なあり方は常に変化しているけれども、揺らぎ自体は、かなり普遍的な現象であるという結論にたどり着きました。たしかに、近代化に伴って「青年期」が制度化され、いくつか新しい特性を持つようになったかもしれません。しかし、青年の社会性や道徳性、コミュニケーション能力の基礎的部分は、人類の進化のプロセスを通じて用意され、特定の社会的環境の下で発現しているに違いありません。
 こうした観点から、現在では、進化論や神経科学と社会学を架橋する必要性を痛感しております。具体的には、J.HaidtやC.Eiseneggerらの研究がそのモデルになると考えています。
 しかしながら、日本の社会学では、いまだにバイオフォビアやサイコフォビアが強烈であり、完全にイロモノ扱いです。みなさん、学問間の縄張り争いのために研究しているのかなあ?遺伝子や神経伝達物質に媒介されない社会的行為ってあるのかなあ?もしかしたら、脳の中に住んでいる「主体」という名の幽霊が、過去の社会的経験を踏まえて、新しい行為を導いてくれているのかも。もっとも私自身は、「能芸人とは違う」と反論しつつも、そんなスタンスが意外と嫌いじゃなかったりもします。
 このような経緯から、現在の私の研究活動は、大まかに区別すると左図の5つのテーマに及んでいます。
 3)政治意識の国際比較は、「若者の政治的無関心」が日本だけの現象ではなく、世界中でかなり広範にみられることを明らかにするために行っています。日本の特徴は、むしろ高齢男性の政治的関心が「枯れない」点にあります。また、自由や弱者救済という意味での政治的関心は、世界中の若者にみられます。
 5)原発避難者の調査は、原発事故の被害から東北や関東の子どもや若者を助けたいという思いと、原発事故後に日本人の間に作り上げられてしまったわだかまり=リスク意識の違いを何とか融和させたいという思いから始めました。しかしこの問題もまた、人間の直感システムとその多様性という青年期と共通する問題を含んでいたようです。
 こんな風にあちこちのテーマに手を出しながら、とてつもなく忙しい毎日を送っています。しかし、進化論に出会ったおかげで、40歳過ぎても、毎日ドキドキワクワク研究を続けることができました。C.ダーウィンと平石界さんに本当に感謝です。

社会と進化が交錯するこの「未開の大地」を、どなたかご一緒に耕しに行きませんか?

サトシ・カナザワ氏が、いたるところに地雷を埋め込んでしまっているかもしれない、「未開の大地」へいざ!!