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2012年12月24日月曜日

師走は大忙し

12月に入ってから、忙しさが加速。

12月1~2日:日本人間行動進化学会 
ポスター発表「若者の政治的無関心とシルバーポリティクスのあいだ」。国際データアーカイブを使って進化や文化的ニッチの話を考えるという筋道もあるかなと思っているけど、あまり人気無いのが実情。興味を持って質問してくれる年配の先生方に感謝。小サンプルの実験データだけだと、分析が相当歪んでる可能性が高いのに・・・
終わりのあいさつでは会長の長谷川眞理子先生が、「多様性が足りない」って若手を挑発していた。相変わらずすごい人だ。いつもものごとの急所を的確に突いてくる。

12月7日:カシオ財団研究助成金授与式
人文社会系を代表してスピーチ。でも原発避難者の話なので、みんな引いている。東京でも福島でも、原発避難者の話をすると引かれてしまう。無かったことにしたいのだろうか?忘れたいのだろうか?こんな状況の中で選んでくれた審査委員の先生方に感謝。東北や関東の中で研究や支援を一生懸命やっている人はたくさんいるが、状況を外から見ている人はごくわずか。本州の端っこにいることのメリットを生かせればと思う。

12月10日:大学の内部監査
とくに問題はないけど、不思議なことが2点。1つ目は、なぜか毎年私が対象者に選ばれる。私の失脚を狙っている人物がいるのだろうか?思い当るところが多すぎて(藁
2つ目は、他大学では普通にやっていることなのに、なぜかできないことが多い。①アマゾンでの物品購入、②調査協力者への図書券配布、③ゲーム参加者への成果的報酬。最後通牒ゲームも独裁者ゲームも、うちの大学では「事務的に」不許可なのです。誰か事務処理の仕方教えてください。

12月11日:JCN(東日本大震災支援ネットワーク)in 中国
広島でのJCNのミーティング。さすがに広島や岡山にはマンパワーが溢れている。山口も自閉症者の受け入れなど独自の活動をしている。福島の人たちはどれほど知っているのだろうか?東京直下や東海・東南海・南海を考えたら、中国地区の社会的資源をネットワーク化しておくことが重要なのは明らか。政治の仕事は山ほどあるのに。
それにしても世界は狭い。会津出身で鳥取でNPOされている方は、私の中学校の後輩とつきあいがあるようだった。会津出身の人で兵糧や補給線の問題を考えている方は初めてだった。山形の支援者団体の方も、私の出身地の隣町の生まれ。それが広島で会うなんて、本当にスモールワールド!

12月16日:日本性教育協会
年内最後のミーティング。原稿が一番遅れている私が言うのもなんだけど、各章の狙いが不鮮明。かぶりも多くて全体像も見えてこない。

12月21日:社会神経科学研究会発表エントリー締め切り
帝京大の堀江重郎先生からかなり前に許可をいただいていたのに、ようやく報告要旨を提出。

12月22~23日:日本社会分析学会
久留米大学で開催。「沖縄県における震災避難者の現状と支援ネットワーク」の発表。震災関係の研究発表は私一人。東北や関東の研究者の必死さを前に、西日本の研究者は躊躇してしまうことが多いとのこと。これでは風化が進むのもやむなし。問題は福島の中にだけあるのではないし、「日本中のみんなできることがある」。

残すところあと一週間。書かなければならない論文は2本。青少年の性行動に関する「欲望の時代からリスクの時代へ」と、社会分析学会からの「遺伝子共同体としての家族」。タイトルだけで批判喰らいそうですが、書かずにはいられない。






2012年11月7日水曜日

「理由なき反抗」の理由


以下では、私が青年期研究を始めたきっかけと、40歳過ぎて進化論に転向した経緯を書いてます。山口大学人文学部HPに書いたものの再録です。

「理由なき反抗」の理由
                                        2011-11-24 (Thu) 17:05
なぜ若者は、些細なことで他人と大喧嘩をしたり、逆にどうしようもないことに劣等感を抱いたりするのだろうか?なぜ若者は、能力以上に自分を過信したり、ありもしない未来を夢想したりするのだろうか?なぜ若者は、古いものにはあまり興味を示さず新しいモノや流行に敏感であろうとするのか?なぜ若者は、仲間とは意気投合しても、大人の忠告は素直に受け入れないのだろうか? そして、なぜ大人たちは、そうした若者の一挙一動にいちいち目くじらを立てるのか?

 私は、高校生の頃からずっとこんなことを考えてきた。自分自身の感情をうまくコントロールすることができなかったせいかも知れない。自分自身を分析対象にすることで、自分の中の怒りや苦しみを何とか飼い慣らそうとしてきた。そして、その答えを求めて、社会学と心理学を行き来しているうちに、いつの間にか、それが日々の仕事になってしまった。

 社会学者たちは、若者が時代とともに変わる存在であることを指摘してきた。とくに近代化以降、青年期が延長され、高等教育が拡大・大衆化し、若者が消費や流行の担い手になったことを強調してきた。他方、心理学者たちは、子どもと大人のギャップの中で、若者たちのアイデンティティや道徳性が揺れ、しばらくすると安定するという発達的変化を指摘してきた。そして、私は、社会心理学者として、この時代的変化と発達的変化についての知見を学び、学生たちに教えてきた。

 しかし私は、これらの説明にあまり満足していなかった。そうした説明が、どこか表面的で、後付けであるということを薄々は感じていた。というのも、私が問い続けてきたのは、若者の時代的変化や発達的変化ではなく、そうした若者の変化しやすさ自体が、なぜ普遍的にみられるのかということだったからである。日本でもアメリカでも、あるいはアフリカでも、若者の基本的特性にはそれほど大きな違いはない。

 1992年にレダ・コスミデスらが唱えた「進化心理学」は、そうした私の不満に応えるものであった。彼女らは、ヒトの脳が、自然選択を通じて人類の進化のプロセス(とりわけ狩猟採集時代の選択圧)で形作られてきたと主張した。ヒトの脳には、過去の生活環境下での問題を解決するために選択された心のプログラムが、多数残されているというのである。この新しい学問は、旧来の「心理学」という枠組みを超えて、fMRIなどのニューロイメージング技術やゲノム解読、コンピュータ・シュミレーション、霊長類学などと結びつきながら、急速に成長を遂げてきた。そして現在では、「進化心理学」という名称が、アカデミズムの既得権益を打ち壊して、多くの学部や学科、研究所などで用いられるまでになっている。ヒトの心が系統発生的な基礎を持つということも、それぞれの心のプログラムが別々でうまく統一されていないということ(モジュール説)も、そして他者も同様のプログラムをもつことを類推する能力があるということ(心の理論)も、伝統的な社会学や心理学の教育を受けてきた私にとっては、衝撃的な内容の連続であった。

 この進化心理学の観点からすれば、若者の規範意識の揺らぎも、その背後に何らかの適応的機能を持っていたことになる。これまで規範意識の研究が、暗黙の裡に、規範への同調を「社会的適応」として捉えてきたのとは真逆である。これまでは、規範への同調を前提に考えてきたからこそ、若者の規範意識の変化が、10代半ばから20代初めにかけて「低下する」と理解されてきた。しかし、規範への同調が適応ならば、ヒトはもっと従順な存在として生まれるはずのではないのか?なぜ、ヒトには<反抗期>が2度も存在するのか?むしろ、進化心理学的観点から、この揺らぎを適応的なものとして理解することで、若者の心や行動について全く異なった解釈が可能になるかもしれない。

 そこで、通常示される規範意識のグラフを上下反転させて、年齢とともに規範からの逸脱が許容される現象を示したのが、図1と図2である。これらの図では、10代後半をピークに、規範意識が「低下」し、その後「回復」するプロセスが示されている。これらの図を見ると、規範意識の変化が必ずしも一様ではないこと、そうした中で「性的行為」に関する許容が最も急激に変化していることがわかる。それだけでなく、17歳をピークとしたこの曲線は、犯罪学で有名な年齢―犯罪曲線(ユニバーサル・カーブ)と見事に一致するのである。性こそが、規範意識の再編や多様性、創造性のスィッチであると考えられる。



 進化心理学的観点からすれば、思春期のこうした現象は、ヒト固有のものではなく、繁殖を迎えた多くの哺乳動物に共通する行動傾向にほかならない。すなわち、若者の揺らぎやリスク行動の背後にある究極要因は、配偶獲得のために、攻撃性や縄張り意識が高まっていく性選択のメカニズムにあると考えられる。ジェームズ・ディーンの代表作『理由なき反抗』で行われるカーチェイスやナイフでの決闘シーンは、進化論的にみれば、明白な理由にもとづいていたということになる。

 もっとも、人間の場合、こうした性選択がもたらすのは、ケンカや無謀な挑戦ばかりではない。『女が男を厳しく選ぶ理由』によると、『ライ麦畑でつかまえて』も『レット・イット・ビー』も、『MS-DOS』も、こうした思春期特有の揺らぎによって引き出された稀有な才能であるという。この主張が正しいかどうかはともかく、若者の挑戦的・反抗的なあり方が、地球上の隅々にまで生活圏を拡大し、文化を更新し続ける人間という種の特性と関連していることは、どうやら間違いなさそうである。

2012年11月6日火曜日

はじめまして

 山口大学人文学部で社会学と社会心理学を教えています。
 専門分野は教育社会学と社会心理学で、主に青少年の道徳性について研究しています。
 もともとは、青年期の自我や道徳性の揺らぎに関心があり、E.エリクソンやL.コールバーグをもとに研究をしていました。
青年期の道徳性や性的発達についても、社会学的方法で調査研究をしてきました。
 しかし、これらの研究を通じて、青年期の具体的なあり方は常に変化しているけれども、揺らぎ自体は、かなり普遍的な現象であるという結論にたどり着きました。たしかに、近代化に伴って「青年期」が制度化され、いくつか新しい特性を持つようになったかもしれません。しかし、青年の社会性や道徳性、コミュニケーション能力の基礎的部分は、人類の進化のプロセスを通じて用意され、特定の社会的環境の下で発現しているに違いありません。
 こうした観点から、現在では、進化論や神経科学と社会学を架橋する必要性を痛感しております。具体的には、J.HaidtやC.Eiseneggerらの研究がそのモデルになると考えています。
 しかしながら、日本の社会学では、いまだにバイオフォビアやサイコフォビアが強烈であり、完全にイロモノ扱いです。みなさん、学問間の縄張り争いのために研究しているのかなあ?遺伝子や神経伝達物質に媒介されない社会的行為ってあるのかなあ?もしかしたら、脳の中に住んでいる「主体」という名の幽霊が、過去の社会的経験を踏まえて、新しい行為を導いてくれているのかも。もっとも私自身は、「能芸人とは違う」と反論しつつも、そんなスタンスが意外と嫌いじゃなかったりもします。
 このような経緯から、現在の私の研究活動は、大まかに区別すると左図の5つのテーマに及んでいます。
 3)政治意識の国際比較は、「若者の政治的無関心」が日本だけの現象ではなく、世界中でかなり広範にみられることを明らかにするために行っています。日本の特徴は、むしろ高齢男性の政治的関心が「枯れない」点にあります。また、自由や弱者救済という意味での政治的関心は、世界中の若者にみられます。
 5)原発避難者の調査は、原発事故の被害から東北や関東の子どもや若者を助けたいという思いと、原発事故後に日本人の間に作り上げられてしまったわだかまり=リスク意識の違いを何とか融和させたいという思いから始めました。しかしこの問題もまた、人間の直感システムとその多様性という青年期と共通する問題を含んでいたようです。
 こんな風にあちこちのテーマに手を出しながら、とてつもなく忙しい毎日を送っています。しかし、進化論に出会ったおかげで、40歳過ぎても、毎日ドキドキワクワク研究を続けることができました。C.ダーウィンと平石界さんに本当に感謝です。

社会と進化が交錯するこの「未開の大地」を、どなたかご一緒に耕しに行きませんか?

サトシ・カナザワ氏が、いたるところに地雷を埋め込んでしまっているかもしれない、「未開の大地」へいざ!!